大学生活の92%を一緒に過ごした仲良し達とのTHE大学生なお写真です、こんばんは、坂田です。
今の会社で働き始めてもうすぐ1年が経ちそうなんですけど、1年とは思えんくらい濃ゆ過ぎるけどあっという間な1年でした。
この一年で僕って全然自分のこと知らんかったんやってことを知れました。
この状況になって改めて自己分析の重要性と難しさに気づけたんですけど、
就活の時の自己分析って今考えたら全然意味なくないですか?
社会人に就活の時なに話してました?って聞いても99%が覚えてない。
覚えとけよってことが言いたいんじゃなくて、ただただ面接で話す為に「強み」「弱み」を探す作業になっちゃってる気がする。
今になって思うのは、自己分析って" 知る "だけじゃなくて" 受け入れる "こともすごく大切やんやなって思う。
もちろん知ることも大切。
これまで言語化してこなかった自分の中で当たり前になってる価値観とか判断基準を可視化して知らないと自分がどんな人かを伝えられないから。
その中でも自分の幸せを知ることってすごく重要なんやって僕は思ってて、
競争環境で1番を目指していくのか、チームで登りつめていくのか、自分のアイデアで世の中に何かを生み出すのか、縁の下の力持ちとして支えていくのか、とことん仕事に夢中になって没頭するのか、仕事と割り切ってプライベートを趣味を満喫するのか、自分の為か、誰かの為か、
人それぞれ幸せの基準が違うから、ここを知らないまま突き進むと自分の思い描く幸せにたどり着けないこともあると思う。
それに、みんなしっかり良い自分を伝えようとするし、良いとこに行きたいって思うし、世間の「良い」に流されてる気がする。
バイトリーダー多過ぎ、留学多過ぎ、サークル立ち上げ多過ぎ、部活やり遂げた多過ぎ
何も考えない思い込みの激しい大手志向もベンチャー志向も多過ぎ
僕は圧倒的にその1人でした。
大勢をまとめるバイトリーダーで、バイト内では仕事ができる人っていう位置で、
僕は持ってる奴なんや、将来は絶対起業やん、大手絶対受かるやん、ベンチャーでバリバリ成長するやんって、1mmも疑いはありんでした。
その時の僕はまともに自己分析ができてなかったし、何よりも" 受け入れる "ってことが出来てなかった。
僕って西日本一ってくらい流されやすいんですよ。
親とか友達とか僕の周りにいてる人らほぼみんなに言われてたんですけど、敢えて流されてんねん笑くらいのスタンスやったんですよ。
ずっと前から目の前にあったこの一面を受け入れず就活をしてきた僕は、流されてる事にも全く気づかずに「良い」に流されて、僕の幸せから少しずつ路線がずれていってたんやと思います。
ベンチャーに入って周りを見渡せば、0→1や自分で何かをっていう人がたくさんいるわけですよ。もちろんそれに僕も便乗するんですけど、けど、っていうわけです。
言葉で伝えるの難しいんですけど、要するに
流されやすいって言い方するとネガティブ感でますけど、疑わず信じれる感受性の豊かさっていう面は自信を持ってます。
ってことです。
言葉にするの難しくて逃げるように終わりますが、次回は" Another sky "と" 職人 "について書きます!
それでは!
11コメント
2018.09.14 13:12
2018.09.11 15:20
2018.09.11 15:20